多夫婚や多妻婚が [インド・女性・階級]

すでに「ベーダ神話」には、多夫婚や多妻婚が言及されるとともに、一夫一婦の単婚が理想とされ、夫婦相互の貞節が強調されている。

また叙事詩『マハーバーラタ』には、5人の王子を夫とするドラウパディーの話が語られ、多夫婚制についての古典的な事例とされている。

しかしむろん、これらの記述から、当時の女性の地位についてその実状を推し量ることはできない。

紀元前一千年紀の前後、古代インド人は西方からガンジス川流域に移住し、新しい社会組織をつくりだしたが、それ以後、女性の社会的な役割や義務も細かく規定されるようになった。

すなわち、アーリア民族系の移住民が土着のドラビダ民族と混血を繰り返し、等差を伴う階級社会が形成されるとともに、紀元前後になると後のカースト制の原型をなす社会ができあがったからである。

古代インドにおける女性像は、この異民族間通婚とカースト社会の形成によって根本的に方向づけられたといってよい。

紀元前後のころに現形ができあがった『マヌ法典』は、祭司制と家父長制に基づくバラモン文化の社会規範を定める法体系であったが、それによると、この時代に新しい性倫理が姿を現した。

まず、女子における初潮期前の結婚が勧められ、結婚前の処女性と結婚期を通じての貞節が要求される反面、男子には多妻婚と妻取替えの特権が認められた。

しかし4、5世紀になると、家族内における女性の地位に変化がみられるようになった。

すなわち、家族財産の相続人のなかに男系親のほか妻と娘が加えられるとともに、宗教的にも祖霊祭において母方の祖先が供養の対象とされるようになったからである。

その過程で女性財産の範囲もしだいに拡大し、夫の死後、妻は合同家族財産に対する夫の相続分に一定の権利を有するまでになった。
update:2010年02月24日